こんにちは。高橋貴子です。
本日は
「神は細部に宿る」
についてお話をしたいと思います。
私はデザインをやる人です。
写真も撮るし、ウェブデザインもやるし、
もともとインテリアコーディネーターだったのでカラーもやりますし、
パースも描くし、インテリアコーディネーターからのつながりで
テーブルコーディネーターをやっていたこともありますし、
カラーコーディネートもやるし、CADも描きます。
デザイン関係をけっこうやっていました。
デザインというのは職人気質になりがちです。
たとえばコースなどを決めるときにいろいろな写真を撮りますが、
ホームページに載せる写真などで本当の勝負写真だと相当な枚数を撮ります。
ウェブサイトに載せるための一枚の写真のために100〜200枚を撮ることもあります。
調子がよくてあるていど早めに良いものが撮れたとしても30枚くらいは撮ります。
それから、写真展などに出すとなれば、
枚数の中からセレクトして組写真にしていくとので、やはり相当な枚数を撮ります。
そういう研ぎ澄まされていく感覚はもしかしたら自己満足かもしれませんが、
いちばん良いものでお客さんに良いと思ってもらえるものを作るというところで、
ものづくりのこだわりがあるということでもあります。
逆に、「これくらいでいいや」というレベルで写真を出す、文章を出す、
としていくと「これくらいでいいや」というレベルのブランドが定着してしまいます。
私はいろいろなものをデザイナーと一緒に作りますが、
クオリティチェックとして、
お客さんの目からどう見えるからどういうふうにしたいということを、
デザイナーの力量とプライドを理解したうえで、
意見をお伝えして直してもらうということもあります。
ウェブサイトのことでいうと、
サイト内で使う画像の大きさや線の太さなどを決めていくときに使う「ピクセル」という単位があるのですが、これが1つ違うだけでスマホなどで見たときにわずかに印象が違います。
エレガントな印象にするために1ピクセルを細くするかしないかにこだわって、
そのレベルまで修正をお願いしたりすることがあります。
高橋貴子はブランドという部分において、
デザインなどにこだわることも含めたトータルでコンサルティングをしているということが自分にとってのウリだし自負でもあります。
その感性や感覚というものは、数字の売上をあげるだけとは違う領域になってきます。
その人らしさが最大限に表現されるようにプロデュースするということになってきます。
だから気持ちとして妥協ができないところがあります。
時間の問題があって妥協をすることもありますが、
時間の中でクオリティの最大限を出すということを決めています。
そこは妥協していません。
神は細部に宿るという芸術の分野でよく使われる言葉があります。
ひとつの仕事のクオリティを「なあなあ」にせずに、
引かないところは引かないというラインを作っておくとそれがブランドになっていきます。
海外にいる人で、
スカイプやチャットを使って電子書籍のコンサルティングをすることがあって、
海外の人ですから基本的にキーワードで私のウェブサイトを見つけてくれています。
男性も含めていろいろな人がウェブサイトを見てくれたときに、
やっぱりきちんと本を出しているということと、
デザインがお洒落で女性だからということが大きな動機になっていることがあります。
だから、デザインのクオリティをそこに揃えるというふうに決めておけば、
ある意味で自動集客になります。
クオリティの面でのブランドを確立していくためにも、
自分なりの基準を決めてそこを譲らないという判断基準が必要です。
たとえば、文字の色を何パーセントのグレーにするのか、
背景の色をどこまで混ぜて、明度はどれくらいにするのか、
そこまで詰めた話をすることもあります。
自分がモデルになって写真を撮るにしても、
自分が被写体でありプロデューサーでもあるので、
どういう自分であるべきなのかという絵を見ながらやります。
だから、非常に客観視した状態で写真を撮ってもらっています。
あるていどのところまできっちりと、
そういう自分なりのこだわりを表現したほうが、
お客様から見たときに「この人はこういう人なのだ」と信頼してもらえます。
安易に妥協しないほうが良いです。
時間がないときにはこだわりすぎてもいけませんが、
神は細部に宿るということです。
つまさきの本当の先にまで神経をピンと行き届かせたサイトを作っている人とそうでない人とは一目瞭然で分かってしまいます。
私はそういうふうに考えているということをお伝えしておきます。
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