ドン底から180度 人生逆転する方法~ドラマチックな人生は誰にでも創れる~
私はどうやらドラマティックな展開が好きな人らしい。
それは、きっと私の半生が自分が望まずとも
「ドラマっぽい」人生だったから、なのかもしれない。
卵かけごはん1週間の生活
食豊かな日本において、ふつうに暮らす分には
おそらく食生活に困ることは、ほとんどないと思う。
そんな日本で、幼少時代、家が貧しくて食べるものが無くて
朝夜、卵かけごはん(ごはんと卵だけ)が
7日間続いた幼少期の記憶は今でも残っている。
なんで家がそんなに貧しかったのか。
ーーーー答えはかんたんだ。
父親が働かなくて、ギャンブルもする人だったからだ。
母は3つの仕事をかけ持って、毎日3時間レベルの睡眠で
私と弟を必死に育ててくれたけど、
それでもお金は水のように流れて消えていった。
父が事業とギャンブルで作った借金の督促で
月末になると銀行や信販会社から電話がかかってくるのなんて
日常茶飯事だった。
月末けたたましく鳴り響く黒電話のベルを音を聞くのは
本当に嫌だった。
私が悪い事をしているわけじゃないのに、
居留守を使って電話の音をやり過ごす時間は
何とも居心地が悪く、残念な時間だった。
母は、とても気丈な人だったし、体力もぎりぎり限界まで使い果たす
精神力が半端なく強い女性だったと思う。
もちろん、その素養は今でも変わってない。
進学校に進んだけれど、塾には行ったことが無い
正確にいうと、「行くお金が無かった」。
そんな表現が正しいのだと思う。
高校の学費も、県と市の「あしなが育英会」的な
「学費を未来へ先送りする援助金補助」の面談に合格して
補助を受けることになって、
高校3年間の学費はすべて社会人になってからお給料から
毎年まとまったお金を支払いながら10年で完済した。
なので、私は高校以降のすべての学費を自分で払っている。
当時、私は県下で有名だった多摩地区の高校に進んだ。
六大学に現役や推薦で入るような人がゴロゴロいるような学校だった。
私は、中学も当然、塾には行っていない。
なけなしのお小遣い。
中学の当時、お小遣いは月3000円だったように記憶しているが、
そのお金をなるべく使わずに、握りしめて本屋に行き、
自分が参考に勉強できそうな本を片っ端から立ち読みして
予算内に収まりそうな参考書を1冊買って、
その本を自宅に持ち帰り、学校の宿題を解くのに使った。
教科書は基礎的なことは書かれているけれど、
体系的に書かれていないので、わかりにくい。
その点は参考書は親切に要点が書かれていたから
独学の勉強は進めやすかった。
本人は特に何も努力しないのに、家にお金があるだけで、
塾に通わせてもらえる同級生の家庭環境を羨ましいなと思ったこともある。
それなのに、
「親が行けっていうからさ~、仕方なく行ってるんだけど~」
みたいな、甘ったれた、なまっちょろい事を
言っている同級生の発言を聞いていると、(苦笑)
「親に感謝しろ!アホたれ!」
と内心、毒を吐くことも多々あった。
と、同時に、私はこんなに勉強する気があるのに
塾とかには行けないのに、大して必要で無い子は(むしろ嫌々行っている)
親のお金で普通に勉強できる、
世の中って理不尽だな、
と思った中学生時代だった。
私が勉強をした理由
とにかく1日でも早く自立して家を出たかったからだ。
そのためには資金がいる。
お金を作らないといけない。
どうやって稼げはいいのか、錬金術を知りたかった。
父のような怠惰で馬鹿な大人になりたくなかった。
そのためにはきっと知識がいる。
何を勉強すればいいのかわからないけど
まずは目の前のことを必死にやってみれば
何かが見えるかもしれない、
そう思って勉強していた。
いい大学に行くから、とか、将来いい会社に入るため、とかじゃなくて、
「自分で自分の人生の舵取りをするため」
にお金が必要だと思った。
お金は目的ではない、手段だ。
当時からそんな思いで学生生活を過ごしていた。
私は自分の生まれや自宅にお金が無い事を
恨んだり、落ち込んだりすることはなかった。
というか、そんなことを考える時間があったら
1日でも早くこの牢獄から出たかった、
ただただその思いだけで未来に夢を託して日々を生きていた。
人生で一番苦しかった時代
今振り返っても精神的にも肉体的にも一番きつかったのは
「新聞奨学生」として「旅行の専門学校」に通っていた時代だ。
体力的にきつい理由は、単純に肉体労働しながら勉強もするから。
例えば一日はこんなスケジュールだった。
03:00-03:30 新聞専売所へ行き配達の準備
03:30-06:30 朝刊 新聞配達
06:30-07:00 自宅に戻りシャワーを浴び朝食
07:00-09:00 学校の宿題&少しだけ仮眠
09:00-09:30 通学
09:30-15:00 学校の授業
15:00-15:30 通学
15:30-18:00 夕刊 新聞配達
18:00-19:00 お風呂と夕食
19:00-20:00 少しだけリラックスタイム
20:00-23:00 学校の宿題を仕上げる
そして翌朝の配達のために
02:30に起床
こんな毎日の繰り返しで、遊ぶ時間もお金もほとんどなく
都下に自宅があるのに、都内の専売所が用意した共同アパート
(風呂無し、トイレ共同、6畳一間、45㎝レベルのミニキッチンのみ)
に住み込んで働きながら学校に通った。
今もかなりあちこち飛び回っているけれど、
このスケジュールを見ただけでも、
もうできないな、(笑)と思ってしまう。
当時は「やりたいかやりたくないか」なんて選択肢は私に無くて、
「やるしかないからやっていた」
ただ、それだけだった。
そして、さらに私にはもう一つ課題があった。
それは、こんな劣悪な環境でも、
学業も優秀でなくてはならない理由があったのだ。
それは、学校の特待生奨学金をもらう、という目標だ。
新聞配達を2年間やっても、いただける奨学金は2年で150万円。
旅行の専門学校の2年の学費は200万円。
どうしても50万たりない。
そして学校のパンフレットにはこんなことも書かれていた。
「成績優秀者には特待生待遇として50万円授与」
あー、もうこれを狙うしかない。これをもらえればちょうど200万。
それなら学校に通えると思った。
そうなのだ。私は、入学するときにはすでに「特待生」になることを
目標に入学している。
しかも新聞配達をしながらという
「時間が無い大きなハンデを負う」ことも覚悟して。
あ、ちなみに、当時の高校でみなが当たり前だと思っていた大学の進学をせずに
専門学校に行ったのは学年でも私一人。
当時の担任の先生に、こんなことを言われた。
「高橋さんはそんなに成績は悪くないし、現役か一浪すれば行きたい大学行けると思うけど」
そして私はこう答えた。
「確かに行けるかもしれませんが、私将来ツアーコンダクターになりたいんです。
家に余裕がありません。受験も失敗する時間もお金もありません。
一番手っ取り早くなりたい職業になれる近道は
旅行会社就職率100%とうたっている○○専門学校に行くのが早いと思いました。」
そう、私はその時になりたい職業をすでに決めていて、
その「目的」のために一番近道の「手段」として
体裁とか関係なく、進むべき道を決めていた。
(当時は進学校に居るのに、大学ではなく専門学校進学を選ぶのは
頭が悪くて行く学校が無いからという風潮があった)
50万円の特待生奨学金を得るために、新聞配達をしながら少ない時間で
睡魔と戦いながら必死に勉強した。
一般の学生でも取得が難しいと言われる旅行の国家資格を2つ取り、
その他旅行関係に必要な英語や、ワープロ検定、その他もろもろ6個取り、
期末の試験ではすべての期間で学年3位をキープして、
晴れて特待生になり、50万円を手に入れた。
しかし油断できない、なんとその成績がキープできなければ
学校卒業時に学校が「特待生として模範では無かった」と判断されれば
50万円返還しなくてはいけないルールだったので、
その後も必死に勉強をし続けた。
人生は理不尽に命を奪われることだってある
そんなある日のこと、
仕事と宿題で疲れていたのか、
共同アパートの簡易的なドアロックをし損ねて寝てしまった。
ふと人の気配がして、目を覚ますと知らない男が目の前にいて、
私と目が合った。
電気をつけていたはずなのに、
暗がりのオレンジ色の豆電球の中で見た知らない男。
その男と目が合った瞬間、
私の首に手がかかり猛烈な勢いで首を絞めてきた。
呼吸ができない。。。
(私死ぬの?こんなところで?)
ふと頭によぎったのは歩いて3歩行けば台所に置いてある包丁の位置。
(これで包丁を手にして、この人を刺したら正当防衛になるのか?)
など思考はコンマ数秒の間に、ものすごいスピードで駆け巡り、
いよいよ手に力がこもりこのままでは死ぬ!と思った瞬間、
猛烈な勢いで蹴り飛ばしたら、運よく相手の急所にあたり
その男は前を押さえながら部屋から出て行った。
但し、走る音は玄関ではなく、すぐ近くの部屋。
扉が閉まる音がした!?
(このアパートの住人だ!)
慌てて起き上がり、簡易的な内ドア用の鍵を閉めて110番。
ーーーその後警察が来て、隣の部屋の中国留学生は身柄確保。
警察で例のマジックミラー越しで見たその犯人の顔は、
暗がりの中で見た男の特徴と一緒。
ちなみに、警察署で自分の顔を鏡で見て驚いたのだけれども、
男に両手で首を絞められた時の10本の指の跡がくっきり残っていたのを見て、
”あー、あそこで私が生きることを諦めたら、やっぱり死んでたんだ”と
改めて実感した瞬間だった。
結果、自白で逮捕となったが、
精神異常ということで中国から家族が引き取りに来て
こちらは示談ということで話が着いた。
裁判になっても、精神異常の鑑定で罪に問われる可能性が低いからということで。
相手が貧しい家柄ということもあり、20万円程度の示談で話は終わる。
ただ、その経緯は同時に私の心を大きく傷つける事件にもなった。
警察から連絡を受けた私の両親が駆けつけてきた。
母は相変わらず気丈だったけれど私のことを心配してくれた。
それに引き換え、普段私のことなど気にもしない、
様子も聞いてこない父が私と会って、
開口一番に言った言葉が
「殺人未遂の示談金は200万とか300万とかが相場らしいぞ」
だった。
私の体の心配よりも、示談金か。。
私は生きるためにお金を必要としていたけれど、
お金に操られる人の心を汚いと思ったし、心底憎んだ。
それ以来、私はお金に執着することはやめた。
同時に私の記憶から家族の中における「父親」という名前で呼ばれる人間を抹消した。
この経験を通して私がわかったことは
<人は自分が一生懸命に生きていても、
自分に非が無くても、命を落とすこともある>
ということ。
だったら毎日悔いの無いように生きなくてはいけないと
思った大きなきっかけだった。
示談をさっさと終わらせたかったのは、
相手がお金を持っていない家庭だったということもあるが、
一番の理由は、私の命をお金に換算した父への反発心が一番だったかもしれない。
人は死なない限りは何度でも挑戦できる
そんな事件があった後でも、私には家に帰ることはできなかった。
奨学生を途中放棄すれば、相殺残債の50万を渡した上で新聞専売所をやめなくてはならない。
つまり50万円を用意できなければ奨学生をやめることもできないのだ。
六畳一間の共同アパートでの住み込みの配達。
エアコンも無かった。
お風呂も無かったから、時間が間に合えば銭湯に行ったり、
終わっている時間だったら徒歩3分のところにある
コインランドリーのシャワーを浴びていた。
示談金の一部で窓用のエアコンを買って
残りのお金はすべて母に渡した。生活費の足しになるようにと。
そんなある日、さすがに激務が祟ったのか、
体を壊した。婦人科系の疾患を患った。
新聞配達を辞めたい、でもお金が無い。辞めれない。
勉強も宿題も、もうやりたくない。。。
生まれて初めて無気力感に襲われた。
(今死ねばラクになれる?)
人生で一度だけ、自殺を考えた瞬間。
せっかく自分で殺されるという窮地を自らの生命力で跳ねのけたのに、
そんな命を一瞬でも自分で捨てようとしてしまう思考にとらわれた。
台所にある包丁を右手に取って左手首を見つめ続けて数十分。。。
私は包丁を置いた。
死ぬ前に「死ぬ気になって、何でもやりたいことをやりきる!」と
決意して、何でも挑戦した。
大抵のことは「死ぬ」ことを前提にすれば何でもチャレンジできた。
人は生きてさえいれば何でもできるんだと改めて実感した数年の時間。
その時間が、その後も仕事でも、独立後の事業でも
どんなにつらいことがあっても、その時の精神状態ほどキツイ状態になったことが無い。
おそらく今のところはその時の経験と記憶が私にとって一番辛い時期の記憶になる。
わずか18歳のころの記憶だった。
それからというもの、
私は”やりたい”と思う事は何でもやってきたし叶えてきた。
旅行会社に入ってから、海外も国内も自在に行きたい場所に行けるようになった。
転職だって自由自在。
憧れた職業、やってみたい仕事は何でもやってみる。
ツアーコンダクター、インテリアコーディネーター、etc。
好きな仕事を手に入れる自由。
小さいころからの夢だった自分の家も買った。
庭付きのマンション。ペット可だったから猫だって後ろめたさなく堂々と飼える。
30歳で自分名義の家を手に入れる。
家自体は、旦那と共有名義だったので折半だったけれど、
自分の名前の家を持てる自分になれたことも嬉しかった。
インテリアとか、釘を打ったり借家ではできなかったことも自由にできる。
それは私にとって「自由」を手に入れる第一歩の始まり。
42才で、独立自営で教室業を開業をして、
いくつもの事業を立てて、回して、
会社員の事業部長レベルでも難しかった収入を今は得ることができている。
そして、そのあとも株式会社を作って、社長になった。
子どものころにうっすらと願った作家になる夢も
商業出版によって叶えることができた。
昔私が願ったことはほぼすべて叶ったことになる。
だから私は自信を持って言える。
「死ななければ夢は叶えることができる」
「生きていて、夢を持ち続けて行動するなら、その夢は叶えることができる」
って。
<死ぬこと以外かすり傷>
っていう本も流行ったけれど
まさしくその通り。
生きてさえいれば何でもできる。
そのことに感謝できていない人がどれだけいることか。
そして、私は明日死んでも
「ありがとう」と
大切な人に言える、
そんな毎日を生きることを決意して
そうやって生きてきた。
だから、今でも私は
<人生を本気で変えたい>
と思っている人には声を大にして言いたい。
<あなたが人生を変えたいと思うなら、その願いは必ず叶う>
って。
だって、あなたは今、【生きてる】でしょ?
ドン底から180℃人生逆転する方法~ドラマチックな人生は誰にでも創れる~
さて、こうして私の過去の話を書いてきたのには意味がある。
私の半生を語ることで、お涙頂戴とか、同情して欲しいわけでもない。
私は
<人生を180度 人生を逆転したい人>
を救いたいと思っているし、それが使命だと思っているから
そんな人に私の思いや知識を伝えたいと思っている。
昔設計した人生の大まかなプランがあった。
30代=自分磨きと学びの10年
40代=学んだ知識を自分の中に落とし込み熟成させる10年
50代=自分の中で落とし込みができた知識を必要な人に受け渡す10年
こんなプランである。
類は友を呼ぶ、ということわざは確かによくできたことわざだなと思ってて、
私のクライアントさんは「人生を本気で変えたい」という人が
その人にとっての「必然」のタイミングで私と出会うことになっている。
私はビジネスの知識も教えるけれど、
ビジネスの成功の根幹は「マインド」にあると思っているので
マインド部分もひっくるめて
「人生革命」のアドバイスをする
というのが私のコンサルティングのスタイルだ。
私は「やり方」も教えるけれど
それよりも重要視しているのは
「あり方」だ。
だから私は自分の背中を見せ続けることで
クライアントさんの意識を鼓舞し続ける。
本人が自覚して、自分で動かない限りは
人生の逆転なんてできないから。
だから、ドン底って本人が思っていたとしても
「生きて」さえいればどうにかなる。
死ななければ何度でもチャレンジできるし。
仮にそれがチャレンジしたことで、自分が失敗と思うような結果になったとしても、
「命をとられるわけじゃないでしょ?」
という基準から考えれば、やらない選択肢なんてどこにもない。
だから、本気で人生を変えたいと思っている人にこそ伝えたいことがある。
「あなた 明日死んでも後悔しない?」
って。
そんな観点から考えたら、ドン底から逆転する方法なんてかんたんだ。
<生きてチャレンジするだけでいい>
人生なんてとてもシンプル。
複雑にしているのはあなたの思考なだけ。
<私にとって大事なのはお金よりも時間>
そんな風に生きている私だから、
命の大切さと同時に「時間」の大切さもよく知っている。
命と時間は、ほぼイコールだ。
そして、私は独立自営した時から決めていることがある、
それは
「本当にやりたいことだけやる」
ということ。
文字で見ると簡単に見えるかもしれないけれど、
やってみると案外大変だから、(笑) 試してみることをお勧めする。
私はお金を稼ぐことに躊躇はしないし、罪悪感も無い。
正当なサービスの対価としていただくものはきちんといただく。
その代わり、
自分がやりたくない(気が進まない)仕事は
報酬が高くても引き受けないし、
逆に
その人のためにやってあげたい仕事は
報酬が低くても引き受ける
それが私のスタンスだ。
だから、
私は自分の時間を切り売りして、
コンサルティングをお引き受けする人もまた
<人生を本気で変えたい>と願っている人を優先にしたいと思う。
災害現場で言うところの「トリアージ」だ。
知識はどのみち墓場には持っていけないのだから、(笑)
50代以降はとにかく身に着けた知識はどんどん降ろしていく、
そんなイメージで動いている。
だから、自由に動くためにはお金は必要とするけれど、
私が一番大事にしているものは「時間」だと思う。
私の元にいるコンサル生さんと私の共通点
私の元にいるコンサル生さん、
全員とは言わないけれど、
人生180度変わった!と言ってもらえる方が多いのも特徴だ。
それは多分に私との相性の問題が大きい。
私がそもそも、こんな風にして「ドラマチック」な人生を送っている人だから(笑)
そんな私を面白いと感じることができるユニークな感性の持ち主、
いい意味での「変人」さんは、やっぱり人生のドラマを望んでいる人が多い。
そしてそんな人たち、(主に教室の先生が多いけれど、)
彼女たちの特徴が最近見えてきている。
その特徴とは、
「マニアック」「ヲタク」
ということ。(笑)
良い言葉でいうと「究極の職人気質」、と言えばいいんだろうか?
そして、実は私もあらゆる方面にかけて「ヲタク」だと思う。
ある意味「ヲタク」は最強だ。(笑)
人生を本気で生きている情熱がある。
みていて清々しいぐらいだ。
ちなみに私は自分の事を「ガテン系エレガント」と称している。
そのイメージは、泥臭く生きるけれど、見た目はさらっと優雅にしなやかに。
凛とした芯の強い女性というなりたい私の願望を込めた言葉となっている。
私はもともと、「自分にしかできない仕事」をしたいタイプなので、
私は最近どうやら、
「人生逆転したい本気の情熱がある人」
を応援(コンサルティング)したいらしいということがわかってきた。
こういう対象を選ぶこと自体すでにマニアックか。。(笑)
だから、もしもあなたが本気で人生を変えたいと思っていて、
私の力が必要、とあなたが確信するのなら、
近日中に私に会っておくことをお勧めします。(笑)
なぜなら、私は「時間」が大事な人で、
当然、対面コンサルする方の人数は、時間との兼合いで限界人数がわかっている。
そして、それがもうすぐ限界人数にくることも知っているから。
人生逆転のドラマを作ってみたいあなたへ
私は人生逆転系のドラマが好きだ。
例えば今放送されている「ノーサイドゲーム」池井戸潤 も好きだ。
泥臭いと言われようとも、人間ドラマがやっぱり好き。
もちろん、それは、ドラマの中だけのことではない。
私の人生においては私がドラマの主人公だ。
だから、どうせならそれはドラマチックな方がいい。
だってね、人生はあとのこり数十年なんだから。
それに、もしかしたらもっと早く逝くかもしれないしね。
ちなみにこの写真は48才の時に撮ったもの。↑
で、トップのこちらの写真は35才に撮ったもの。約13年前の写真。↓
今自分で見ても、そんなに年を取った感覚はない。(笑)
昔から、年齢に関係なく輝いている女性にという姿を目指していたから。
60才超えても年齢不詳を目指そう。(笑) いわゆる魔女か。
だから、人生を本気で変えたい人は全力で応援するけれど、
そんなに本気じゃない人には、私が関わる時間を割くのをやめることに決めた。
きっとそういうライトな人は私じゃない人でも救ってくれる人はたくさんいるはずだから。
私はドラマが好き。
だから
一緒に一緒に走りたい人も
ドラマ好きがいい。
そんな現状を踏まえてお伝えしたいこと。
来年は、上記理由から
実際にお会いして課題解決する対面コンサルの人数が減るか、
枠が無くなる可能性があります。
よって、気になる方は近日中に私と会うアポイントを入れてください。
本気の方は無料面談でガッツリお話しましょう。
ライン @takako555
でも
メール info@libra-creaiton.co.jp
からでもご希望承っています。
そして、今期増税前の最後の募集となるアカデミーの詳細はこちらです。
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【増税前 最終価格!】
2019年10月生・2020年1月生 リビング起業アカデミー デザインプレミアムコース募集について
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6ヵ月後しっかりした事業を構築したいと思う
「マニア」で「ヲタク」の先生のための講座となっています。
もう一度繰り返しお伝えしますが、、、
私は、
「ヲタク」
が大好きです。
追伸:
まずは高橋貴子本人に会ってみないと先に進めないという方、
ちょっと変わった大人の文化祭 ハロウィンセミナー&パーティがおススメです。
飛常識なコンサルタント 高橋貴子の姿を実際に確認できます。
東京 10/19日:https://peraichi.com/landing_pages/view/festival
関西 10/29日:https://peraichi.com/landing_pages/view/1029party