CHANEL ~ココ・シャネルの言葉~と光と闇 闇があるから光が輝く

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こんにちは。高橋貴子です。

 

ココシャネルの言葉から感じたことを書いた

前回の記事 <高橋貴子の恋愛観>に続いて

今日は<高橋貴子の人生観>について語ってみたいと思います。

 

少し長いお話なるかもしれません。

ご興味のある方はお時間が許すときにお読みになっていただければと思います。

 


 

 

私が生涯を通じて一番欲しかったもの、それは「自由」だ。

だから私は会社のあらゆる事業に「Liberty」の頭文字をとって「L」という文字を入れている

 

とにかく不自由だった昔の私に反発するかのように(笑)

今の私は、

好きな仕事をして、好きな場所に行き、好きな人に会い、

そして好きなように生きている。

 

もちろん、それを支えるためのツールとして「お金」というものは必要なもので、

当たり前だけれども、無いよりもあった方がいいに決まってる。

 

「お金を稼ぐ」ということに対して、はしたないとか、恥ずかしいとか感じる人は

きっとお金に困ったことがない裕福な人生を過ごしてきたんだろうなぁと思う。

でも私は、別にそれをひがんでいるわけでもないし、批判しているわけでもない。

 

人は自分が経験したことないことは

おそらくその感情を想像することもできないことを

私はよく知っているから。

 

小学校の時に、

切羽詰まった状態で、7日間連続の卵かけごはんしか食べるものが無い生活をしたときに

「お金があったらなぁ」なんて考えるのは

私にとってはとても自然なことだった。

 

それでもきっとそれでも食べるものがあるだけ私は幸せだったはずだ。

もっと食べるものにも困窮している子供なんて世の中にごまんといる。

 

人はまず、食で満たされるべきだと思う。

その先の思考はそれからだ。

 

高価なものという意味ではなくて、豊かな食べ物は心も満たす。

単純においしいものを食べると人は幸せな気持ちになるから。

 

とにかく私の幼少時代は食を含めて

あらゆるものに渇望していた小学・中学・高校時代。

 

とりわけその中で私が一番欲しかったものは、

「自分で自分の人生を選択できる自由」だった。

 

■生まれの幸・不幸はあまり関係ない

 

シャネルの生い立ちも決してよい生い立ちでは無かったらしい。

孤児院育ち、本人自身も悲惨だったと言っているからきっと悲惨だったんだろうと思う。

 

でもそんな中でも彼女は

「お金持ちになって自由を手に入れる」ということを夢を見て

そしていつか実現する!と「決意」していた。

 

「いつかなりたいなぁ」なんていう生ぬるいものではなく、

「なる」「する」という強い決意だったことは想像に難しくはない。

 

なぜなら、私もずっと昔からいろいろなことを決意して

それを一つずつ、数十年かけて実現させてきた経験があるから、

共感できるのだ。

 

現実化してきたことを上げるときりは無いけど、

例えば

 

・世界中を飛び回る仕事をしたい →旅行会社就職 (好きなことを仕事にする)

・家を自由にデザインしたい →インテリアコーディネーターになる (好きなことを仕事にする)

・自由に飾れる自分の部屋(家)が欲しい →マンションを購入 (欲しいものを手に入れる)

・会社を創る・社長になる →株式会社を設立 (欲しいものを手に入れる)

・作家になる →本を出版する (やりたいことをやる)

 

最近でいうとそんなことがざっくりしたトピックだ。

なりたい職業にはおおよそなることができて、

やりたいことはやってきたイメージだ。

 

体があと5つぐらいあったらきっともっといろんなことができたと思うけど、

いかんせん、1つの体では時間の限界もある。(笑)

 

いずれも20年とか30年以上前に決意したことが

ここ40代後半になって次々に現実化してきている。

 

もちろん、夢の現実化に加速をかけたのは「思考」であることは間違えないけれど、

今はその話は一旦置いておくことにする。

 

ーーーーともかくシャネルが言うように、

生まれは変えられない、家が貧しかったのも変えられない、

でも自分自身は変えられる。

 

だから、不思議なことに

生い立ちを恨んだこともないし、

人を妬んだこともない。

 

だって、そんなことをしても

自分の状況は少しも変わらないことを

知っていたから。(笑)

 

それなら、よっぽど知恵を使ってお金を稼いだ方が

欲しいものが現実化するのに早道だと思っていた。

 

お金がない生活は

私の思考を子供らしい思考から大人の思考へと早熟化させた。

 

だから変な話、女の子なのに考え方が妙にしっかりしてしまっていて、

無邪気な子供らしい子供ではなかったように思う。

そういう意味ではある意味残念な子供だったのかもしれない。

 

■嬉しかった褒め言葉

 

私の家は、とにかく父が働かない人だった。母はよく働く人だったけど。

子供の性格は育った環境が影響するというけれど、まさに私はそれを体感している。

 

私は「父のような人間」が大嫌いだった。

具体的に言うと「怠惰」で「嘘つき」で「一貫性のない人」が嫌いだ。

 

とにかく仕事をしない人だったし、家でゴロゴロしたり、パチンコにいったり、

しょっちゅう借金をこしらえて

銀行からの督促の電話がよくかかってきて居留守を使っていたりして。

子供ながらになんでこの人はこうなんだろう、と良く思っていたものだ。

「ろくでなし」という言葉はこの人のためにあるんじゃないかと思ったりした。

 

おまけに言うことがコロコロ変わる。朝令暮改なんて日常茶飯事だった。

とにかく、世の中で一番嫌いな人間は父だったといっても過言でもない。

 

おまけに自分のルールを人に押し付けようとする。

門限もうるさかった。

22:00には帰らなくてはいけなかったし、

友人との外泊もできなかったので、修学旅行以外外泊したことがなかった。

 

窮屈な縛られる生活にうんざりする私は

とにかく早く自由になりたいと心底思っていた。

 

グレルのも時間の無駄だし、馬鹿らしいとおもっていたのでグレルことなく

まっとうに過ごしていた学生時代。

 

塾に行くお金もなかったから、独学で全部勉強していた割には

成績は優秀な方だったと思う。

 

高校がバイトOKの進学校だったので、

喫茶店やファミレスや家庭教師で稼いだお金が

全部参考書代や夏期講習代や模試代に消えていった。

 

はっきり言って遊んでる暇なんてなかったから、

そういう意味では「暗黒の学生時代」だったのかな(笑)

 

今では笑える話だけど、当時は学校とバイトと自宅での勉強の日々だったから

女性としては終わってた人(爆)だったと思う。

 

ファッションとかある意味どーでもよくて、

黒とかグレーとか茶とか無難な色ばかり着ていたし。

今の私からはだれも想像できない当時かと。

 

自腹を切っての学びだからそれは必死。

参考書もマーカーだらけ。何度も読んで理解して、それの繰り返し。

 

それでも、たまに講習にでて講師の人の話を聞くと

自分で参考書読むよりも10倍以上の速度で頭に入ってくる。

 

その時はさすがに、ふだんは思わないことだけど、

親にお金を出してもらって塾に通わせてもらっている人を

羨ましいなと思ったことがあるのを記憶している。

 

だけれども、そんなに勉強ができても私には親に褒めてもらった記憶があまりない。

一生懸命やってても、なぜか当たり前のようにできてしまっていると

勝手に思われていたらしく、、。

 

子供らしいココロ的には「褒めてもらいたかった」んだけど、

おかげさまで

まぁ、いいか、自分のためにやってることだし、

妙に冷めたクールな子供なってしまった。(笑)

 

私がファッションが面白いと思ったのはかなり先だったので

それまでは、「綺麗」とか「素敵」とかも言われたことなく

(実際に地味だったから)、嬉しかった褒め言葉は

「頭がいいね」とか「仕事ができるね」とかそんな言葉が大好物だった。

 

付き合った男性にも「かわいい」と言われるより、「すごいね」と言われる方が

褒め言葉に聞こえていたんだから、やっぱり私は変わり者だったに違いない。

 

■時間は有限なんだと分かった出来事

 

そして、私の暗黒時代はまだまだ続く(笑)

 

いつも勉学に関わることでお金が欠乏していた状態は学生時代はずっとだった。

中学校から専門学校まで学費はすべて自分で出している。

 

奨学生になったり、特待生になったり、、

挙句の果てには都内に住んでいるのも関わらず

「住み込みの新聞奨学生」にまでなってしまった。

 

これが私の人生の中では一番きつい時間と経験で

精神力と体力の限界に挑んだ、そんな2年間だった。

 

 

さて、あなたにこんな質問をしたら、あなたは驚くだろうか?

 

 

「あなたは殺されかかったことはありますか?」って。(笑)

 

しかも、

 

「私はありますよ」っていったら驚きますか?

 

ーー事件は、住み込みの風呂無し、共同トイレのアパートに住み込みしているときに起こった話。

新聞配達は早朝2:30に専売所に行ってチラシの折り込みを30分ぐらいやって、

タケノコと言われる新聞を自転車の前かごに積んでそこから配達がスタートする。

夕刊は16:00から18:00ぐらいにかけて配達だ。

 

ご飯を食べて、銭湯に入って、

夜学校の宿題をやって、うとうとと寝込んでしまったときに共同アパートの鍵を

うっかりかけるのを忘れていた。

 

ふと人の気配がなんとなくして、目覚めたときに

ついていたはずの電気がオレンジの豆電球になっていて、

目の前に知らない男の顔が30センチぐらいに迫っていた。

 

一瞬思考が停止した。

 

何が起こったのかわからない。

とにかく声を出そうと、空気を吸った瞬間、、

 

その男も私が目覚めたのに気付いたのか、

突然、ものすごい力で首を絞めてきた。

 

パニックになりながらも、

「こんなところで死にたくない!」

足をばたつかせたら、急所にあたったらしく、

引けた腰で部屋からその男は出ていった。

 

でも、玄関には走る足音ではなく、

近くのドアの扉が閉まる音がした。しかもかなり近い。。

(隣の住民だ)

 

慌てて、鍵をしめて、近所の交番に電話をして

ことの顛末を話した。

 

すぐに隣人が逮捕されて、

警察署で、ミラーガラス越しに犯人を見て

顔がその時に見た顔と一緒だったのでこの人です。と証言。

自宅のものについていた指紋から犯人が断定できた。

 

ーーー結果として、中国からの留学生で精神異常がある人だったらしく

お兄さんが呼ばれて本国に強制送還されることになった。

 

刑事事件にしても精神異常では裁判が長引くし、無罪になる可能性も高い。

警察からも示談を提案されたから、私には時間が無かったし、それでいいやと思った。

 

そして、話を聞いた両親が駆けつけてきた。

母は当たり前のように私の身を案じてくれたけど、

父は、私の身を案じるよりも先に

「命に係わる事件の示談は、200万とか300万とかでも取れるらしいぞ」

開口一番言ってきた。

(※結果として示談でまとまった金額は20万だった。さっさとケリをつけたかったのだ。

相手にお金がなかったこともあったが私の命をお金の交渉材料にしようとした

父への反発が一番大きかったのかもしれない)

 

娘の心配より、取れるお金の心配か。。。(苦笑)

しかもその話は仕事仲間のろくでなしの誰かに聞いてきたらしい。

 

もうあきれてものも言えなくなるどころか、笑うしかなかった。

 

「私には父親なんていなかった」

 

と、過去の記憶を塗り替えようと思った瞬間だった。

 

家に帰って改めて自分の首を鏡で見たら、

右側に4本の指の跡がくっきり残っていた。

それぐらい強く締められていたんだと気づく。

 

だけど、私は必死に抵抗した。

「生きること」への貪欲な執着がそこにはあったのだと思う。

 

人は、どんなに真面目に生きてたって、

思いも知らないところでトラブルに巻き込まれることだってある。

上記の事件だって、たまたま隣人が犯人だっただけだ。

相手は私じゃなくても構わなかった。

 

怨恨じゃなくても人ってかんたんに死ぬ可能性があるんだと、

ひしひしと知った瞬間だった。

 

そう考えると、お笑いのさんまさんじゃないけど、、

「生きてるだけでまるもうけ」

 

という言葉はあながち間違ってないと思う。

 

この事件で私は

「時間は有限である」ということを痛烈に知った。

しかも自分が意図しない時に突然命が立たれる可能性も知った。

 

いつ死んでも悔いのない人生を生きよう。

毎日が「いい人生だった」と言い切れる人生を送ろうと決めた瞬間だった。

 

そして、同時にこの日に私の記憶から

「父親」という名前の人物を消滅させたのだ。

 

■私は「私の人生を創る」と決めて生きた

 

世間的には私の学生時代の人生は

不幸だったというカテゴリーに入るのかもしれなかったけれど、

私はそこで自分が不幸だとは思わなかった。

 

むしろ、「父なんていなかった。頼るのは自分だけでいい。」

そう割り切ったら、自分で好きなように人生が創れることへの自由さを感じて、

逆に気持ちが解放された。

 

その後はやりたい仕事を選び、どんな仕事でも人の3倍は働いていた。

人がやっていないことは率先して覚えたし、

上司からむちゃぶりを言われても、心では「はぁ?!」とか思いながらも

全部の案件を戦いのごとく潰していった。

まさに「企業戦士」という言葉がふさわしい状態だったかもしれない。(笑)

 

そうすると勝手に役職が上がっていくし、お給料も上がっていった。

お金が手に入ると、その分やりたいことや欲しいものに投資できるようになっていった。

 

特に学びに関しては、今まで行きたかった学校ややりたかった習い事

それが山ほどあったのを少しずつできるようになっていく喜びを感じて日々働いていた。

 

知識が増えれば増えるほど新しい世界がどんどん開けていく。

 

「人と違っている思考」を持つことが

成功の秘訣だと、ある段階で気が付いた。

 

私はいつだって、人と違うことに価値を持っていたし、

批判する人もいたけれどさっぱり耳には入ってこなかった。

 

なぜなら私は私の人生を生きると決めていたし、

他人が私の人生を創ってくれるわけではないと知っていたから。

 

とにかくしょうもない話に関わっているほど暇じゃないと思ってた。

私は時間は有限であるとすでに知っていたから。

 

シャネルが言うように、私は自分の学生時代が気に入らなかったのだと思う。

だから、自分でお金を稼げるようになって

やりたいことを自由にしたいと思うようになったのだ。

 

■お金と私の愛憎関係

私の半生はお金と切っても切り離せない人生を生きてきたし、

父のことから言うと、お金に対して「憎しみ」さえ感じることだってあった。

 

私の事件をお金に変換する父。

お金ってそうやって人の心も変えるんだと。

 

だから、私は自由を得るためにお金は必要だと思ったけど、

執着はしないように心がけてきた。

 

お金ですべてが買えるわけではない。

でもかなりの自由は手に入れられるようになる。

 

そしてお金がないと人にやさしくすることもできない。

 

だから稼ごう、自分がまず満たされなければ人に愛を渡すことはできない。

そのことを痛烈に学んだ家庭環境だったのだ。

 

だから、私はお金を憎んだし、お金を愛した。

私とお金は愛憎関係にある。(笑)

 

お金が最終目的じゃないから、金額に執着しないので

やりたくなければ大口の仕事でも断ることだってある。

 

逆に小さい仕事だったとしても

やりたい仕事なら喜んで引き受けることだってある。

 

ーーーでもこれが言えるようになるまでは、

それなりに時間がかかったりもした。

 

私は会社員22年の生活ではそんなことは言ってられない生活を送ってたけど、

独立して自営をすることで初めて「仕事を選ぶ自由」を手に入れたのだ。

 

そうやって、すこしずつ欲しい人生を手に入れて、

私は今を生きている。

 

■たった一人の人との出会いが人生を変えることだってある

 

 

先日、私のコンサルを受けて卒業したクライアントさんと久しぶりにお会いした。

出会った当初の顔が想像できないほど、まぶしいぐらいに輝いていた。

 

そしてその時に私は思いがけない話を彼女から聞くことになる。

 

実は、私と出会った当時、

彼女はいつでも「死ぬ」ことを考えていたというのだ。

 

「自分の人生なんてどうやっても変えられない、いつ死のう、、」

そんな状態なのに、たまたまの偶然に私と出会ったのだった。

 

そのときに何かを彼女は感じたらしい。

 

そしてその後、私のコンサルティングを受けて

とにかく私の言うように動いていたら、あまりにも忙しくて

「死のうとしてた事すら忘れてしまっていた」らしい(苦笑)

 

キラキラと輝く彼女のもとには

「あなたのようになりたい」「憧れなんです」という人が

やってくるようになったと嬉しいご報告をいただいた。

 

私との出会いが彼女の人生を変えるきっかけになった。

 

ーーー私は私が別にすごい人とかは思っていないし、偉ぶるつもりもない。

 

私はただ、貪欲に自分の欲しい人生を創るためにひたすら泥臭く邁進してきただけだ。

そこには残念なことにエレガントさや美しさはない。(笑)

 

だから、せめて外見だけでも華やかでファッショナブルにしているのは

自分自身の泥臭い人生の「アンチテーゼ」なのかしれないと思ったりもする。

 

※アンチテーゼ(ドイツ語:Antithese)とは、最初の命題の反対の命題で、直接的に対照をなすもの。正反対とも。反対の設定の中で、おのおのは表現の明確な対照によって、意味(定義、解釈、意味論など)の対照も引き出す。

 

私は今、日本全国を動き回っているけれど、それは一人でも多くの人に会いたいからだ。

 

もちろん、世界にも行きたいから(あ、これは私の趣味w)

これからは世界にも動けるように準備をしていく。

 

「私を必要とする人に会う」

 

そしてその人の人生を変えるきっかけになるなら

それはとても嬉しいことだ。

 

私は一応経営コンサルタントとして「稼げるように」アドバイスはしているけれど、

 

本質的に伝えたいことは

 

「その人が欲しい人生を送れるような道を見せること」だ。

 

だから、その時にその人が私のコンサルティングを受ける受けないは

それほど重要な問題ではない。

 

私だって時間に限りがある、

どのみち限られた人しか見てあげることができない。

 

でも例えば私とセミナーで

たとえ2時間とかしか会うことができなかったとしても

もしかしてそれがその人の人生の岐路を変えるきっかけになるなら

私は十分幸せだ。

 

そういう意味では「本」というのは、私の考え方、エッセンスがそのまま凝縮された

一つの個体としてどんどん伝播していくということを実感しているから

やっぱり素敵だなと思うのだ。

 

私が直接お会いできていない読者様から感激のメールをいただくにつれて

「本を書いてよかったな」と心から思う。

 

仮に私に何かあっても、思いはそのまま残り続けるはずだし、

それが誰かを救い続ける可能性があるから。

 

シャネルが言うように「人生の中で何を考え、何を愛してきたか」

ということを私もとても大事にしている。

 

そして、その私の思いに触れた人が

その人が思う輝く人生を送れるなら、

私はきっと自分が生きてきた意味を実感できると思う。

 

私は生涯現役で働き続けるつもりだ。

きっと思いを伝え続ける。

 

そしてちょっと物騒な話だけど、実は死にたい季節も決めている(笑)

春の桜の散るころ、パッと咲いて風と共に散っていく。

そんな時期に逝きたいなと思う。

 

だから、それまでは生きて生きて、生き抜くと決めている。

 

私の半生はもしかしたら「闇」に表現されるのかもしれないけど、

「光は闇が濃ければ濃いほど、輝きを増す」

 

私はいつでも光に憧れていたし、光の射す方へ向かって歩いていた。

それは闇の暗さと濃さを知っているからだ。

 

だから私は決して闇も嫌いではない。

 

闇と光は相反するものだけど、

それはきっと共存しなくてはそれぞれの存在価値が見えにくい。

 

私は不自由な半生だったから自由な人生に憧れたし、

その反動とギャップが私が生きる原動力になっている。

 

光の場所ばかりにいると、光のありがたさがわからなくなる。

 

だから私は光の美しさを感じることができる生き方をできているのも

実は、大嫌いな父親のおかげかもしれないと、思うこともある。

 

もし、今、誰かに

「あなたは幸せですか?」

と聞かれたら、

 

全力で

「幸せです」

と答えるだろう。

 

そして家族も含めた私とご縁があった人がすべての人に

幸せを実感してもらえるように、

 

私は今ある環境に感謝しながら、自分を幸せにしつづけるために生きていく。

その姿そのものが誰かを幸せにできると信じているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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