こんにちは。高橋貴子です。
本日は
「不安があると不安を呼ぶ」
についてお話をしたいと思います。
「不安があると不安を呼ぶ」ということを言い換えると、
おそらく「思考は現実化する」というお話と似てくると思います。
不安を持っている人だいたい同じような思考なのでそこをお伝えしていきます。
たとえば「これをやると、この先でこんなふうに言われてしまうのではないかと思うんです」というタイプの人は、わりと実際にそう言われることが多いです。
それから、「これをやると、こういうふうになってしまうような気がします」とか
「あまりうまくいかないような気がします」というタイプの人も、だいたい本当にそうなります。
そして、「今はこういう状態だけれども、将来これがなくなったらどうしようと考えると不安になるんです」というふうに、将来の不安を今に持ち込んでいる人も居ます。
このタイプも、わりとそうなりやすいです。
本当にいろいろなのですが、私の結論を言うと、
起きたときに考えようとする思考を持ったほうが良いです。
起きてないときに不安を持つと、
それを引き寄せる要因がついでにくっついてくると言ったらお分かりいただけるでしょうか。
それから、そこが目についてしまうということもあります。
不安になる要素が目についてしまうので、
余計にその現象が自分の中でオーバーフォーカスされてしまって混乱に陥るケースが多いです。
無くなったらどうしようという不安は無くなったときに考えればいいし、
これは男女関係にもあると思います。
「彼が居なくなったら生きていけない」とか
「彼女が居なくなったらどうしよ」とか言う人がいますが、
本当に大好きすぎて生きていけなくなる人もいるのかもしれないけれど、
それくらいの大恋愛をしても何かの都合で別れることになったら、
何年かして別の人と付き合っていたりすることも多いですよね。
そして、そのときの熱い思いはなんだったのかというくらいに、
その別の人に本気になっていたりします。
「居なくなったらどうしよう」という不安は執着を生みます。
執着があるとそれが無くなることに対しての不安ばかり大きくなって、
はぐくんだり育てたりすることに目が向かなくなってしまいいます。
そして、けっきょくは男女間なら破綻することも多いし、
お客様に対しての「離れたらどうしよう」という考えで付きあることになり、
ビクビクしちゃって何でも言うことを聞いてしまうようになります。
お客様の言うことをすべて聞くことはなくて、お客様は神様じゃないと私はよく言っています。
お互いに、欲しいものと提供したいものがあって、
最大公約数的にみなさんがほしいものを商品開発していくのは企業やビジネスパーソンとして当たり前のことで、これは違う回でもお伝えをしたことがあります。
たとえば私はスイーツはあまり好きではなくて私のパンの生徒さんの間でも有名です。
けれども、低糖パンのクラスを持っていて、
そこの生徒さんがどうしても低糖スイーツを習いたいということになって知人を紹介しました。
でも、私から習いたいとおっしゃって、その他にも何人かいらっしゃったのですが、
私がスイーツを習ってレシピ等を買い上げてきて、それで教えるということを決断しました。
求められるものをサービスとして提供するという決断をしたわけです。
そこにはビジネスとして教えるほうが良いという判断があったので、
お客様の言いなりになるということではありません。
もちろん神様でもなんでもありません。
対等であると私は考えています。
だから、
「言うことを聞かないとお客さんが離れてしまう」とか
「これを言ってあげないと居なくなってしまう」とか
「料金を上げたら居なくなってしまう」とか、
そういう「居なくなっちゃう不安」を持っている人は言いなりになるしかなくなります。
そして、
安くしろと言われたら安くして、
何かをやってと言われたらやってあげて、
御用聞きみたいな感じになってしまいます。
これはたぶん、お互いに不幸です。
特に先生が不幸ですね。
不安があって「無くすかもしれない」と思うと執着になる。
手放さないようにするために卑屈になる。
そういう可能性が高いです。
だから、そこは、手放してもいいと思ってしまったほうがいいんです。
不安を持たずに、なったらそのときに考えましょう。
たとえば、私も教室の値上げは何度かしていますが、
そのときに見た値段でその価値を認めてくれる人が来ればいいと思っています。
もしかしたら値段を見て引いた人も居るのかもしれませんが、
その値段でOKだという人とだけ付き合おうと決めたらそれほどお客さんは減りませんでした。
仮に、値段を上げたことに対して文句を言われたとしても、
そもそも文句を言われる筋合いはないです。
なぜなら、その価格が正当であると考えてつけているわけですから。
文句を言われたことはありませんし、
もし「高い」と言われても、
その人は別に来なくていいと思っているので「どうぞ、他の安いところに行かれたらいいです」と答えるだけです。
「文句を言われたらどうしよう」という不安が、文句を言う人を引き寄せてしまうということがわりと多いです。
だから、基本的にデーンと構えていようというか、
そのときになってから対処を考えるとして不安は先送りにしておいて、そのときに出来ることをベストでトライしていくという形にしたほうが結果としてうまくいくケースが多いです。
まだ起きていないことに不安を持つと今の状態が不安定になるからあまりお勧めはしません。
将来においてそれが起こったらそのときに不安に思えばよくて、
二回も不安に思う必要はないということです。
だから、それが起こるまでは何もなかったことにするのもいいです。
あとは、ことさら大きくとらえないほうがいいということもあります。
やはり批判的なことを言う人はいるものですが、
自分の道に信念があって、
こうするべきだと思っている確固たるものがあって、
役に立ってそれを必要とする人のために動いているのであればそれでいいです。
誰かに何かを言われたとしても、
自分は自分の信念や考えで動いているので、
何かを言ってくる人はその人が実現すればいいだけのことなんです。
だから、そういう人とは関わらなければいいという感覚が私の中にはあります。
不安に思うことでよけいに不安を呼ぶということは断ち切ったほうがいいです。
何か起こったらそのときに考えるという発生ベース的な考え方にすれば、先の不安を持たなくなります。
そのかわりに持ったほうがいいのは、
「この先すごい、ヤバい、儲かっちゃう」とか
「楽しくてしょうがないことを考えてワクワクしちゃう」というような考えです。
なぜなら、そうなるから。
「これをやっていると楽しくてヤバい」というように楽しいことを選んでいくと本当に楽しいことしか起こらないし、そういう人しか周りに寄ってきません。
不安があると、「不安系」の人たちがすごく寄ってくるので、
よけいにみんなで不安のどツボにハマることが多いです。
私は別にそういう「気」をスピリチュアル的に読める人ではありません。
けれども、ドヨ〜ンとするオーラの集団は分かるんです。
そこにはなるべく寄らないようにします。
場の空気というのはとても大切で、
良いエネルギーを発している人の空気感のところに行くと思考も明るくなるし、
発想も豊かになります。
誰かに迎合するとか引っ付くというわけではないですが、
私はなるべくそういう場所を選ぶようにしています。
何かのお付き合いでよく分からないまま参加したその場の空気があまりにもドヨ〜ンとしていたとか、
その人たちと関わっていると不幸になりそうに感じるようなこととかがあると、
次からは行かないようにしています。
そういう感じで自衛していることもあります。
そもそも自分からそういうオーラを発しないほうが良いですし、
人は明るいところに寄ると考えたほうが良いです。
これは集客についても人間関係全般についても共通です。
ということで、不安は不安を呼ぶということをご理解いただいたら、
「起こったときに考えよう」これを標語にしていただければと思います。
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