こんにちは。高橋貴子です。
本日は
「正しいことは正しくないかもしれない」
についてお話をしたいと思います。
価値観というのは人によって様々です。
Aさんはこちらが正しい、Bさんはこちらが正しいと思う、
そういうことがあります。
自分ももちろんどっちだと思うところがありますが、
例えば自分と誰かが意見が食い違った時に、
正しいかどうかの判断というのは難しくて、
たとえ論破したとしても「理論で勝って勝負に負ける」という話があるように、
相手が感情でものを言ってくる土俵の時には、
それが正しいかどうかは論外になってしまう時があります。
だから私も仕事をしていて色々なシーンであるんですけれども、
特に法人企業が相手の方が話はつきやすいですね。
例えば、「お気持ちはわかります」というエクスキューズがあったとしても、
「ただ当社としてもこういう状況において、
すごく気持ちは理解できるんだけれども、
会社のルールとしてそれは受けがたいのです。」という事を、
はっきり最初に伝えて理解をしてもらう努力をするというようなときなどがあります。
それから、男女に多い、
女性が「あなた昔から○○で〜」と言ったときに、
男の人は感情論で話をされるのを嫌がるといいますよね。
「その事実は事実じゃないか、それのどこが悪いんだ。」
というような食い違いで喧嘩をしても、
全然接点がないので、話がまとまっていきません。
そういう時にどちらかが譲るのか両方が譲歩するのかは別として、
正しい事を主張する事が全て問題解決の肝になるわけではないという事なんです。
ということは、同時に、
自分が正しいと思っている価値観と、
世間が正しいと思っている価値観がすでに違うということもありますし、
世間が言っているからといってそれが正しいとも限らないわけです。
もちろん自分の考えなどは主張してもいいと思うんですが、
当然、その理由と事情を
納得してもらうように丁寧に説明する努力は必要になるんではないかと思います。
だから、
価値観が違って居心地が悪い場合に
スッとその集団から身を引くということも選択肢の一つにあるし、
基本的には話を聴くということですね。
そして受け入れた状態で自分の考えを分かるように伝えるということが必要です。
私が旦那に言われた事です。
感情を抜きにして理論として正しい事を伝えてしまうので、わーっと拮抗しなくてすみます。
そうすると、
「言ってることは正しいし、なんか気持ちが悔しい」と言われた事があります。
気持ちはわかるんですが、感情を入れてしまうと、
感情論というところでの土俵の喧嘩になってしまいます。
これはまた少し難しいところがあるのですけれども……。
話を元に戻すと、
対立するような何かがあった場合には、
相手には相手の価値観がある、自分には自分の価値観がある、
それを正しいという大義面分において説得するのは難しいということです。
どのみち感情論が間に入ってきますから。
だから、自分ももしかしたら相手の価値観において正しくないかもしれないと思うようにして、
一歩ひいた状態で、
どこか譲歩できる点はないかと考えてみるような、土俵が広い人になる。
そんなイメージを持ちましょう。
そうすると、そんなに自分も気持ちにストレスがないし、
事が荒立たないというケースが多いです。
ぜひ参考にしてみてください。
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